擬人法は、人でないものを人のように表す言い方です。景色に気持ちや意志が生まれるので、自然が急にこちらへ話しかけてくるように感じられます。
夕日が、町に「また明日」と手を振った。
夕日は話したり、手を振ったりしません。夕日が沈む様子を、人が別れのあいさつをする姿として表しているため、擬人法です。
動いていれば擬人法、ではない
人でないものが動く文でも、その動作が実際に起こるなら擬人法とは限りません。
犬が門まで走る。 花が朝に開く。 自動ドアがゆっくり閉まる。
どれも、そのものが実際にできる動作です。人のように扱った表現ではありません。
一方、次の文には人らしい行動があります。
古い自動ドアが、客を帰したくないと踏ん張った。
自動ドアに「帰したくない」という気持ちを持たせ、「踏ん張る」という意志のある行動として表しています。この部分が擬人法の手がかりです。
人にも物にも使える動詞に注意する
「走る」「眠る」「笑う」などは、人以外を主語にすることもあります。
道路が南へ走っている。
この「走る」は、道路が南へ延びているという慣用的な言い方です。道路が足で走る姿を思い浮かべさせることが表現の中心でなければ、擬人法と断定しにくい文です。
森が深く眠っている。
森は本当に眠りません。「眠る」によって、音や動きのない森を、生き物が休んでいるように感じさせています。前後にも静けさや夜の気配が書かれていれば、擬人法として読む根拠が強くなります。
動詞だけでは決まりません。主語は何か、その動作を本当にできるのか、人の気持ちや意志まで感じさせるかを見ると分かりやすくなります。
直喩と重なる表現もある
雲が、迷子のように町の上をさまよっている。
「ように」があるため、雲を迷子にたとえた直喩です。同時に、「さまよう」という人らしい様子を雲に重ねているので、擬人的な表現でもあります。
一つの表現に使われている技法が、必ず一つに決まるとは限りません。問題が「『ように』を用いた比喩を答えなさい」と聞いていれば直喩、「雲を人のように表した部分を答えなさい」と聞いていれば擬人法に注目します。設問が何を問うているかと、答えの根拠をそろえます。
擬人法が生むもの
雨が窓をぬらした。
雨が窓に、帰れない理由を何度も尋ねた。
一つ目は、起きたことをそのまま伝えています。二つ目では、雨音が問いかけに変わります。窓の外の雨が、部屋にいる人を責めるように響き、落ち着かない気持ちまで感じられます。
擬人法は、景色を生き生きと見せるだけではありません。自然を味方のように感じさせたり、反対に責める相手のように感じさせたりできます。人でないものにどんな性格や気持ちが与えられたかを読むと、語り手がその景色をどう受け止めているかも分かります。

