古文の主語って、なんで書いてないの?

古文に限らず、日本語は主語を省略しやすい言語です。

「昨日、映画見た?」と聞かれて「見たよ」と答えても、「私は」を書かなくても通じますよね。

古文ではこの省略が今より多く感じられるので、「誰がやったの?」となりやすいです。

主語を探すときは、直前の人物をそのまま入れるだけでなく、動作を見る必要があります。

「言ふ」「見る」「参る」などを誰がしているのか。敬語があれば、誰を高めているのか。会話なら、誰の発言のあとか。

主語は書いてないから自由に決めるのではありません。

前後の出来事から、一番自然な人物を絞ります。

誰がしゃべってるのか分からない。どう見分ける?

古文の会話は、「○○が言った」と毎回書いてくれないので迷いやすいです。

まず、会話の直前を見ます。

誰が誰に話しかけたのか。
誰が質問したのか。
その返事として自然なのは誰か。

これを確認します。

二人の会話なら、発言が交互になっていることも多いです。ただし、必ず交互とは限りません。

敬語も手がかりになります。話の中で高い立場の人物に対する尊敬表現が使われていれば、話し手と相手の関係を考えられます。

「かぎかっこの前の人物が話し手」と機械的に決めず、会話の内容が誰の立場なら自然かまで確認してください。

直前の人物だけで決めない

古文の主語は、話題になっていた人物がそのまま続くこともあれば変わることもあります。動作の内容、会話の流れ、敬語を使って「誰がやると自然か」を確かめます。

次に読むなら